ジミ俗研究室

世間知らずのくせに思考を好んでいる情報弱者のブログです。「俗」な物事について気になったことを気になった順に書き記します。

別にAAAが炎上したからトリプルファイヤーの話するわけじゃない

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松崎しげると映画主題歌やるっていうからさ

最初はマジで音楽ナタリーが派手に誤字ったのかと思った。あまりのガセっぷりに引いたもん。「そんな訳ないだろ何と間違えたんだ」と思って記事開いたら本当に記事名通りの内容がここに記されてるんだから、もういっぺん引いた。ガセじゃなかったらなかったで引くパターンのやつだった。

 

 

これが松崎しげる側からのアプローチだったのかは記事に記されてないし、ちょっと調べるくらいではこの2組が主題歌を、映画の劇伴はトリプルファイヤーのGt.の鳥居真道が担当していることしかわからない。音源も当然のように公開されておらず作風も不明。不気味だ、ルイージマンションくらい不気味だ。

何でこんなにビビってるのかこのバンドについて知らない人にはわからないだろうし、音楽ナタリーフォローしてる人でもこの記事をスルーしてしまう人はいる。ただ気づいてくれ、これ本当におかしいから。あと断っておきますが今日AAAの話は一切しません。

 

 

トリプルファイヤー

 

 

 

 

Vo.の吉田靖直を中心として早稲田大学の軽音サークル仲間で結成され、当初3ピースだったのでトリプルファイヤーと名乗っていたがGt.の鳥居が加入して以降も同じ名前で活動している。4人体制となって以降、吉田作詞鳥居作曲の形で作品を発表し、2014年の2ndアルバム『スキルアップ』を皮切りにその知名度を徐々に伸ばしていく。

特に表題曲『スキルアップ』のMVは当時FMでも常にどこかしらで流れてた水曜日のカンパネラ『桃太郎』のMVと同じ監督だったこともあってフジテレビの「アフロの変」などでも打首獄門同好会などと一緒に紹介されていたことを記憶している。ただし「バカっぽいバンド」的な括りではあったが。

 

その後はどういうわけかVo.吉田の露出がどういう訳か増えた。しかもあの天下のタモリ倶楽部に複数回出演することになった。タモリが注目したのは吉田のワードセンス。彼に「絶対芸人やった方がいい」とまで言わしめた吉田のセンスについてもう少し掘り下げていこう。

 

 ほぼ芸人

なんか「トリプルファイヤー吉田」っていう字面見るだけでR-1準決勝感が匂ってきませんか。そう、バンド名からもう既に議論が始まってるのだ。「当初3人組で始まったからってトリプル」っていう安直さもそうだけど、その次に来るファイヤーて。別にあんたらファイヤー的な曲やらないし一人たりともファイヤー顔した主人公みたいなやついないじゃん。小2の男子が最初に思いつく技名のセンス。早稲田の文学部がこの名前名乗ってるあたりで察せるけど明らかに狙ったダサさ。カッコいい横文字の名前のバンドが多いことからカタカナ語の名前を忌避して命名されるバンドもある中でのこれ。まだバンド組む前の皆さん、残念でした。バンド名で個性を出す最後の手段がトリプルファイヤーで潰えました。

 

ダサさを狙うというセンス自体は歌詞にも出てくる。『スキルアップ』を例に挙げると、

 

ピーって 笛が鳴ったんで 一番大きいボタンを押した
天井の穴を塞いでいた弁が開いて
三色のボールがそこから転がってくる

その中から好きな色を一つ選んで
壁に備え付けられたかごに入れていく
かごの重さに比例してメーターが上昇する
メーターが赤いラインに達した瞬間
壁の穴に棒を突き刺す

棒を突き刺す 棒を突き刺す 棒を突き刺す 棒を突き刺す

スキルアップ

何だこの意味わからん作業は。何の歌なんだダセえなあ。

よくこの歌詞に言及する論評にあるのが、「単純作業のアルバイトに対する皮肉」みたいなことなんだけど、僕にはそういうクレバーな事が言いたいように見えない。

 意味があるのかどうかわかんない単純作業を繰り返していくうちにどんどんその業界での「スキル」が上がっていくし周りからも認められ自己肯定感が上がる。皮肉云々コメントしている人はこの歌詞を裏読みして、そのバイト先を経営してる企業にただ労働力を搾取されている若者を描いたように見えているのだと思う。確かにその観点は無しではない。他の曲もそうだけど、自己の客観視から現実を俯瞰する歌詞って多いし客観視するとその曲の主語が大きくなるから社会に切り込むように見えるようにはなってるとは思う。

 

 ただ僕がアルバムを通して聴いて思うのは、彼が客観視しているのは他でもない自身のダサさなんだと。自分の感性が面白くて表現者の道を歩むと、周囲の「普通」のノリに触れるとあまりのセンスの差に呆れたりする。だけど何かしらの集団に属さないと生きていけないから自然の摂理には逆らえず少しずつセンスが「普通」に近づいていく。会話が弾んだらそれはそれで楽しかったり、クソみたいなバイト先でも褒められたらどうしたって心が晴れたりする。でもそこで自分が見下してたコミュニティのセンスに近づいていることに気付くのだ。

スキルアップ』の歌詞にあるのは、頭おかしくなるくらい意味わからん作業で認められたら平気で「ありがとうございます」って言っちゃう奴、という所までしか書いてない。それがなんだと主張まではしないのだ。この歌詞に出てくるその若者はもうダサくなったまま帰ってこないし気づきもしないから。その気づかない所もダサく見えてくる。

ある意味ツッコミのないボケっぱなしのコントにも似たその構図は「面白いパーティー」「Jimi Hendrix Experience」などにも表れている。ダサい状況を展開のないロックサウンドに乗せることでようやくダサさを自虐する環境が整う、という高度なメタ的要素がトリプルファイヤーの歌詞には存在していると思う。

 

以上が個人的に考察できるトリプルファイヤー吉田のクリエイターとしてのセンスだ。

 

パフォーマーとしては

歌めっちゃ下手。いやこれ上手いって奴はおらんだろ。ただしダサさを演出するには十分すぎるボーカル力だと思う。特に、彼の中で勝手に熟成させたようなグルーブにおけるセンスは唯一無二とまでは言わないまでも凡人のそれとは明らかに違う。例えば、トリプルファイヤーの楽器陣ってライブでも異常なまでに正確な演奏をする。同じフレーズを延々と繰り返すことが多いのにこれを機械的に合わせ続けるバンドの完成度は狂気的にも思えるのだが、吉田はこれに対してちゃんと辻褄が合うように少しズレる。

そのパフォーマンスを裏付けるかは微妙だが、ライブMCでも本人が言ってたのは「グルーブを自分の波に一体化すると自我とか無くなって幸せな気持ちになるってことをやろうとしてる」。歌詞が現実のとても近い所にある分、その具体性を表現するときに一体感があると個の集まりだったはずのバンドが1つの抽象的な不安定さを生む、そういう挑戦だと僕は解釈する。

 

複雑な解釈になったが、平たく言えばこの星野源もどきは適当に歌ってるわけではないということだ。

その証拠となるであろう動画が存在する。2016年の呂布カルマとのMCバトルだ。

 

  

www.youtube.com

 

どうやらこれも新しいファンを獲得したきっかけの一つらしい。僕のこちらの界隈に関する知識は有名プレイヤーの名前とスタイルを僅かに知るばかりでコメント欄の一般論を要約するに甘んじているのだが、このパンチラインとリズム感と会場の雰囲気は称賛に値するようだ。これちょっと勝手に嬉しくなるやつ。

 

 

 

さて、ここまで読んでくださった方は、トリプルファイヤーというバンドとそのフロントマン吉田靖直についてある程度理解できたのではないだろうか。はいじゃあここで冒頭の話題に戻しましょうよと。

 

松崎しげると映画主題歌やる人です

いや嘘つけって思うでしょ?これが事件だってわかるでしょ?相手はあの『愛のメモリー』だというのにこのバンドマンときたら美しい人生も限りない喜びも胸のときめきも1ミリたりともないんだもん。

マジで世界観が合致するとしたら塊魂のBGMでしかありえないこの2組。令和の音楽史は彼らが破壊して始まるのかもしれない。それでは。