ジミ俗研究室

世間知らずのくせに思考を好んでいる情報弱者のブログです。「俗」な物事について気になったことを気になった順に書き記します。

R-1ぐらんぷりがM-1などに比べて笑いが少ない理由が気になる方へ

2019年のM-1最高だったよな

 

本当に全組面白くて時には涙を流して笑った。新しい笑いを観られたし、しかしその中にも先人から受け継がれし笑いの基礎的なエッセンスも感じるから安心して見られるというのもあのM-1が最高だったことの一因だろう。しかし昨日のR-1、というかここ数年のR-1からスターは生まれず、レベルが低いという声も少なからずある。それはなぜなのか。

 

このページを開き以下に続く文章を読んだ人が、なるべく、極力傷つかないようにまず予防線を張る。大きく分けて2本、予防線を張る。

僕はただ子どもの頃から今まで好んでテレビ番組、とりわけお笑いを見ている(見せてもらっているという表現の方が正しいかもしれない)というだけの何者でもない一般人だ。したがって、いくらでも「お前何様だよ」「自称お笑い評論家乙」と見下し叩いて良い階層の人間だと思ってもらった方が幾分か気楽に読めるかと思う。

次に、この記事は決して「芸人のレベルが落ちた」「この芸人が評価されない理由がわからない」などの悲観的、消極的な主張を目的とするものではない。主題は、決勝に進出した全芸人のネタを精読し、どこが面白いのか、もしくは面白くないのかを分析することで、近年のR-1決勝出場芸人の傾向や他大会(M-1やKOC)に比べ盛り上がりに欠けるように見える理由を素人なりに考えること、そしてそれを言語化することで一つの論理として個人的に整理をつけることにある。

近年のR-1を観てモヤモヤした感情を抱いているような方が僕以外にもいるのなら、この記事で一つの解釈を得て頂けると幸いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

分析方法・「面白い」の基準

まず決勝出場芸人たちを客観的に分析するため、簡単に思考のフォーマットを決めておく。

 

①その芸人がどのような仕掛けを以て笑いを作ろうとしているのか、その狙いを読み取る

②その狙いが反映されたネタや実際のパフォーマンスが見る側にどう作用するかをなるべく論理的に精査する

③「その仕掛けで笑いを取りたいならこちらの方が面白くなるのではないか?」などという不躾な提案が浮かんだ場合、恥を忍んで記す。

 

主にこの3点で各芸人についてまとめる。

 

続いて、「面白い」の基準について。

これは人によって見える世界が違うのは当たり前なわけで、あくまで個人的な基準になる。ただ、一般に広く知られる「笑いは裏切り」という言葉を前提に、「見る側の想像を超え、意表を突ける発想」を「面白い」と呼び、「見たことあるような設定、ボケが想定の範囲内」といった状態を「面白くない」と呼ぶものとする。

 

 

 

 

全芸人の分析

12人それぞれについて精査するため冗長な文章になってしまい申し訳ない。お忙しい方は気になる芸人の項目だけ見るのをお勧めする。

 

1.メルヘン須長

沢口靖子のモノマネで一部のネタ番組などに出演していることで有名だが、ちびまる子ちゃんなどのアニメキャラのクオリティも高い優秀なモノマネ芸人。

披露したネタは「科捜研の女」の主人公を演じるイメージの強い沢口靖子に扮し、「Twitterあるある」のような(主に女性の)やりとりを事件例のごとく紹介しそれらをディスるというもの。

お笑いにおいても多様性を受け入れる文化が称賛される現代でディスりを中心に置いたネタというのは非常にやりにくいようにも思われる。しかしディスが全面的に受け入れられない世の中ではないと個人的には考える。そこに説得力さえあれば。例えば、2019年M-1チャンピオンのミルクボーイ。ネタの大半が「適切な」ディスりで構成されている。コーンフレークの成分表示の五角形についての言及は、説得力を帯びた適切な指摘でしかない。

そもそもお笑いにおける面白いディスはボケや世間の矛盾に対する適切な指摘として存在するからそこに説得力が生まれて安心して笑えるというもの。情報化が進んだ現代でディスがしにくいのは、ディスる側にそれなりの知識がないと粗が見えやすくなったという解釈が妥当だろう。

 

それを踏まえてみると、メルヘン須長のネタはどうだろうか。若い女の子のアイコンの3割はおっさんという論調は確かに少し前までは多かったが今は普遍的になりすぎてネカマの見分け方すら一般的になりつつあるわけで、今更ネカマの話をしても「裏切り」に発展しないのである。あと声優とそこにリプするファンの関係をディスるのも、アイドル声優の大小さまざまな市場を見るに、共感できない声が多く上がってしまうのも仕方ないといった感じだ。その辺りに彼女の見解の説得力のなさが露呈してしまい、大衆的な笑いに至りにくいという結果となる。そしてオチの質問箱について。そのネタがわかるのは今Twitterやってる人の一部だし審査員の年齢層を考えると伝わらない層の方が多いのではないかという点も気になる。

 

ついでに、これは身も蓋もないことではあるのだが、そもそもこのフリップ芸に沢口靖子のキャラ要る?モノマネで売りたいならそのキャラ掘り下げた方がよくない?

 

 

2.守谷日和

披露したネタの設定は、ある事件の重要参考人として呼ばれた男が自身のアリバイを証明するために事件当日の状況説明をするのだがなぜかそれが落語のような振る舞いになってしまうというもの。

取り調べから落語へ。まさしく緊張からの緩和を体現すべく作られたネタと思われる。

ネタの後半は取り調べ担当の刑事がその落語を面白がって本題そっちのけでどんどん落語に寄せさせるので、男は困惑し泣きそうになるという展開。ここに畳みかける笑いを作ろうという意図が見える。

落語を題材にしたオチも用意されているので綺麗なコントだなあと素直に尊敬した一方で、もしかしたら演技によってはもっと面白くなるのではないかとも感じた。

例えばネタの始まり。急に落語家になるのならば、最初に追及されているときの素の状態はもう少しテンションを下げて生っぽい演技にしておいた方が落差が大きくてより面白くなったのではないか。刑事に対するツッコミも「なんで○○なんすか!」ばかりでバリエーションが少なく、回を重ねるごとに言い回しを変えた方がネタを聞き取りやすいし受けてを揺さぶりやすいと感じる。「なんで明日は重要亭参考人て名乗らなアカンのですか」→「いや誰が重要亭参考人や」、「なんで着物着てこなアカンねん」→「もう着物とかええからええから(刑事がノリノリで持ってきている様を少しまんざらでもなく拒否しながら)」といった感じで少しずつ自分の特技を評価され上機嫌になったところで逮捕されてしまうオチの方が個人的に好み。これは芸人の演技力問題なのでこれ以上の議論には発展しないかもしれないが。

 

3.SAKURAI

SMA所属でギター弾いて歌ってたらもうそれはミュージシャンなのでは・・・?リズムギターの音楽に乗せながら、名詞をいくつか挙げて「一体何の共通点があって羅列してるんだ?」とリスナー見る側に思わせて、満を持して発表するそのカテゴリがしょうもなくて笑いを誘うという仕組みに見える。

つまりいかに受け手の予想を裏切れるかに挑戦しているわけだが、発表された正解がそんなに裏切りきれてないのが敗因なのだと分析する。例えば、「徳川の将軍15代の肖像画の顔の向き」は発表が長すぎて言い終わる前に気付いてしまう人もいるため笑うタイミングが分散してしまう可能性があるし、「米米CLUBの主要メンバー」は最後に石井を言ってしまうせいで正解発表前にこれも気づいてしまう可能性がある。

だったらもっとわかりやすい固有名詞を並べて、正解発表は「知らんわそんなん!」って観客に心の中でツッコませるくらいの方が裏切りやすかったのではないか。

松本大野二宮櫻井相葉と並べて「生身で月面に放ったら♪危ない~♪」とかでもよかったのではないか。あと最後の大サビ大ボケの前にしっとりさせるとかもう1段階発展したメロディ用意しとくとか、歌としてのギミックがあると聴きやすく感じる。

 

 

4.マヂカルラブリー 野田クリスタル

今回の優勝者。彼が今大会で一番面白いかどうか、それは前述の通り人によりけりなところであるので、あくまでどういった笑いのメカニズムなのかを純粋に分析したい。

 

自作したゲームを実際にプレイしながら、そのシュールな絵面や難易度に四苦八苦する様を演じることで笑いを誘うところを見るに、なんだかこれってゲーム実況者のそれなのではないかと思ってしまった。ジャンプで弾幕を避けきったときとかは一時会場全体が「行け!行け!」みたいな雰囲気になってみんなで生ゲーム実況を楽しんだかのような感じだった。

だからこれはもう、「人が変なゲームやってリアクションを取る様(=ゲーム実況)は十分面白くてお笑いに値する」ということを優勝をもって証明した例なんじゃないかと。これから実況始めたいって方、アイワナとかスペランカーとかやったら売れるチャンスじゃん。今だ急げ!

 あとこれはTwitterで見かけた意見だったのだが、自作したものをモニターに映してそれを自分でツッコんでいくという形態を「陣内スタイル」と呼び、野田クリスタルもそのジャンルではないかと言われている。つまり野田のネタは陣内智則が既に開拓しきった土壌で勝負していた、というようにも見えてしまう。ただこの件に関してシステムを丸っきりパクっていると評価するのはあまり正しくない。なぜなら、見る側に「これは自作したゲームだ」という事実を前提として知らせておくことで差別化はできているからだ。映像自体にライブ感、不安定さを取り入れ観客を緊張させる仕組みはある種先進的なシステムであり、我々視聴者に新しい体験をさせてもらえたのではないだろうか。物凄く面白いという感想に直結するかは別として。

 

 

5.ルシファー吉岡

設定はとある仕事場の休憩室。若い女性同僚の飲みかけの缶コーヒーの横に、全く同じ銘柄の缶コーヒーをこれまた飲みかけで(わざと?)放置してしまい、取り違えて飲んでしまえば間接キスになるがそれでいいのか悩むという、冴えない中年男性の拗らせた葛藤がテーマのコント。

男性視点から見ると少し共感できてしまう感情を、行き過ぎた自虐で表現するという手法で構成されているように見受けられるのだが、この辺の繊細な感情は、もう少し演技力がないと表現しきれないという一面を持つ。過去の決勝進出時の彼のネタにも共通していることだが、あまり表情筋が強い方ではなく特に目元の演技のバリエーションに乏しい点が彼のコントの完成度を邪魔している感がどうしても否めないのだ。動きももっと激しくコミカルな方が現実感から少しずつ乖離していってより笑いになるし、リアル感に終始すると展開が広がりにくいからもっと心の中の鬱屈とした部分を大げさに表現するくらいが丁度いいはず。

すなわち、これは演者によってかなりウケ具合が変わるコントなのだ。一回佐藤二朗に本気でやってもらいたい。

 

 

6.ななまがり森下

今大会の「ぶっ壊し枠」と捉えて差し支えないと思う。仮にもひとり芸の日本一を決める大会の決勝戦で裸芸を披露するというバカバカしさがウケるというのはザコシショウやアキラ100%の前例があるが、今回もその類の笑いが起きていたように思う。

彼らの名誉のためにも言うが、前例の彼らはただ裸だったからウケたわけではない、そのネタの中にも少なくとも裏切りや緊張と緩和を織り交ぜていた。しかしどうだろう今年は。緊張と緩和に値するシーンがイライラ棒の所しかないのだ。しかもできてないから緊張のレベルはかなり低めに設定されてしまって結果緩和への落差も小さい。

なにより、コント名以上の情報がないので見る側の興味が発展しないのだ。平たく言えば飽きてしまうし無観客の会場の空気の方が気になってしまう。「今18分くらいやってなかった?あいつ」などの陣内智則の指摘が至極全うすぎてようやく救われた感がある。審査員が審査の前に私見を語るなんて本来よっぽどのことなのだが、テレビ番組を成立させるための緊急措置を素早く取った芸歴27年の彼の手腕が光ってしまったといったところだろうか。

 

 

7.パーパー ほしのディスコ

相方のあいなぷぅの悪名高きパーパーのお笑い担当。泣いているのを我慢し続けているような声色と演技が特徴でもありまた武器でもある。

冷蔵庫のプリンを勝手に食べられた男が同棲中の彼女にやんわりと自白を要求するのだが、その優しい言い回しのせいで先に浮気を自白されてしまい雰囲気が気まずくなるというコント。実はこのコントも今説明した以上のことがほとんど起こらず見る側の興味が発展しないタイプのネタなのだ。あばれる君みたく鬼束ちひろでも流せばもう少し雰囲気にのめりこませることもできただろうに。

彼の笑いの狙いとしては、「不慮の事故です」「無罪です」などの特殊な言い回しで見る側の想像を超えるシステムを採用していると思えるのだが、残念ながらネタに登場した面白げな台詞がすべて日常的に出てきてもおかしくない比喩表現で、人の想像をさほど裏切れない言葉なのが難しかった。せっかく言葉少なく一語一語の笑いの比重が大きいのだからもっと見る側がすぐには予想できない例えツッコミのようなものがあってほしいと願うのは贅沢だろうか。 

 

 

 

これでネタを成立させてしまうなら普段のあいなぷぅの役割マジでないじゃん

 

 8.すゑひろがりず 南條

M-1で見たとき衝撃的だったし本当に面白かったし古語で実況するバイオハザードやフリートークでの頭の回転も速い、個人的な推し。発声や鼓の打ち方が美しいのもあって努力の成果が適切に表れているのも尊敬できる。

ネタは「今昔またぎ」。M-1のネタにもあった「古今東西お菓子の銘柄」の拡張版ともいえ、現代語のシチュエーションや歌詞を古語に変換するというもの。2本目のネタも同様、現代語とのギャップで笑いを誘う仕組みだ。

流れとしては、第一のまたぎ第二のまたぎと思いついた古語変換を羅列するように順次紹介していくといった感じなのだが、そのシステムで一本のネタを構築するなら、「またぎ」同士の相互作用で後半に盛り上がりがないとマズかったのではないか。あのままだとどこでネタが終わっても同じだし終盤になるにつれて新鮮味が薄れてしまう。

例えば、布袋ネタで「上様の物にございまする」をやった次に「うわーんジャイアン僕のマンガ返してよ(またいで)上様の物にございまする」や「アンパンマンは♪(またいで)上様でございまする」といったようにかぶせるなどの仕掛けを用意すれば見る側の「次どうなるんだ?」という興味が持続しやすい。あとドレミの歌の後半は、もしかしたら無観客のあおりを今大会で一番受けたシーンだったかもしれない。自分が彼を無意識に贔屓しているだけだろうが、あれは可哀想だった。

 

 

9.ヒューマン中村

かつてR-1に出ていたときのフリップ芸を廃止し、録音した音声との掛け合いで笑いを生むスタイルのコントを採用した。もしかしたらこちらの方が純粋な「陣内スタイル」に近いかもしれない。異世界の王国の妖精が脳内に直接話しかけてくるというファンタジーさと、受信料を払わされたり嫌がらせが陰湿だったりという現実でもかなりシビアなシチュエーションを掛け合わせることでギャップを作る。受信料の下りがNHKをディスってるようにも聞こえるから審査員の点が入らなかったのではないかという意見も見かけるが、個人的にはそういった忖度や陰謀論に終始したくないのであくまで芸としての分析をする。

これはルシファー吉岡の項目でも書いたが、彼もまた表情筋の乏しさゆえに損をしているタイプだと自分は感じている。それに加え彼の場合は声の演技、つまり言い回しや抑揚に関しても「一般人感」が強すぎるのも難点なのだ。しかしあの理系大学院生修士2年みたいな声質はもうなかなか変えようもないので、妖精のボケに対して小さく2度見する、「やめろや」の最初の「や」の発音を「ぃゃや」にして声を震わせるみたいな細かい演技で本当にボケに困惑する様を表現するギミックが欲しいと思ってしまう。フリップ芸も発想が本当に面白いからこそ、そこで損をするのが気の毒でしかたないのだ。来年もネタが見たい。

 

 

 

 

 

 10.おいでやす小田

全ての芸人の意図をくんで「ああここで笑わせたいんだな」と理解するという趣旨でこの記事を書いているはずなのだが、正直…彼を好意的に捉えるには自分個人としてはもう少し時間が必要だ。もちろん披露したネタを分析したうえでこういった感想を抱いている。

ネタの設定は、借金の取り立てのレクチャーとして新人の取り立て屋に効果的な脅しを指導するが、それが「ラ行は全部過剰に舌を巻いて発音すればいい」といった内容でフリップを用いて用例を紹介していく、というもの。

もう、これ以上の言葉を使って説明するのは無理ではないかというくらい、ネタの内容はそれだけでしかなくそれ以上の発展もない。強いて言うなら「コラ!」「オラ!」の「ラ」だけに注目させて、「殺したろかコラ」の2か所の「ろ」を後で指摘することで裏切りを発生させる狙いなのだろうか。次のQ&Aの下りは…いくら後に実践編を置くとしても借金関係ないしなあ…初老の老人を車で送ることが趣味って何なん…ラ行を巻くことに重きを置きすぎて設定のコンセプトがどこにあるのかわからなくなっているのが見る側としては不安要素となってモヤモヤする。もし「いや全然関係なくなっとるやないか」というツッコミを観客に要求するならそういった感想を抱かせるために一つ二つフォローを自分で入れてほしかった。「ほらな?めっちゃ日常生活でも便利やろ」「初めて会うた人にはボーリングが趣味かどうかしか気にならへんもんな」みたいな台詞で見る側のツッコミを入れられる余白を作るくらいアリなのではないか。

というか全部実践編でよかったし、そしたら別の行とかを使って別ルールを途中で追加すれば飽きない仕組みにできたはずなのだ。どうしてもラ行だけじゃ相手がビビらなくて困った時はハ行を裏声ビブラートで発音しろみたいな下りにすれば、世界のナベアツが途中から5の倍数で犬になるや8の倍数で気持ちよくなるを追加したときの如き変化が生まれる。ハ行とラ行が同時に出てくる言葉なんて出そうものなら裏声とドス声の清濁混ざったギャップで忙しなく発音する様がバカバカしく映るし、疲れる素振りを見せればまた別角度の笑いにもなる。見る側はいくつかの笑いを求める時代なのだ。台湾まぜそばで終盤に追い飯が欲しくなるようなものだ。

彼が結果を残せないのは嫌われているからではない。そういった趣向を凝らそうという姿勢がネタに表れていないからなのだ。正直この主張すらわかりきったことでもあるのに審査結果を見て嫌われる嫌われないの話でキレ芸を披露するのも彼の問題の一つで、説得力のないキレ芸は難癖でしかないので本当に嫌われちゃう前によしたらいいのに…と思う。個人的には。個人的にはだからね。ちゃんとキレ芸が笑いになる瞬間とか分析してほしいなあ…再三言うが、ツッコミとは基本的に適切な指摘でないといけない今の時代かなり知性が求められるものなのだから。

 

 

11.ワタリ119

有吉ゼミ、向上委員会などの一部番組にほぼ毎週出演している元消防士のピン芸人…ではなく、キラキラ関係という男女コンビの片割れ。恥ずかしながら本格的にネタを拝見するのは初めてだったのだが、バラエティで見知っていた芸風はそのままにネタの構造で他芸人に比べクレバーなことをしていたので、自分が抱いていた、トークで目が泳ぎまくって緊張を隠せない芸のない奴、というかなり失礼な印象を払拭してくれて驚いた、というのが正直な感想。

制限時間180秒で119枚のフリップを披露するため時間がないことをアピールしておきながら、そんなに要らない理由説明や地元の隊長を思い浮かべる下りなどでハラハラさせながらネタ数の多い高速フリップ芸を披露するという半ば遊園地のようなエンターテインメント性をはらんでいた。しかも時間を余らせたから子犬の鳴きまねをオチにするという破天荒さも裏切りになっていたし、サンシャイン池崎ら他のハイテンション芸人とも芸風で差別化ができている。確かに時間ぴったりで終わらせたらさらに拍手喝采だったかとは思うが、本人が培ってきたタレントとしての印象も相まって今大会の中では良いネタを披露できた側の芸人に入るのではないだろうか。

 

 

12.大谷健太

どこかで見たことある顔だなあ…前何かに出てたっけか…絶対知ってるんだよなあ…とモヤモヤして名前で検索したが、同名の弁護士とボートレーサーが出てきたし、おそらく本人のWiki見ても元のコンビ名すら存じ上げなかった。でも絶対見たことあるんだよなあ…昔近所に住んでたりしたのかなあ…

絵にするとシュールな印象を与える早口言葉をフリップのイラストとともに順次羅列していくのだが、今大会では珍しく前の小ボケにかぶせてさらに後半に畳みかける手法をとったネタで、そういった点ではすゑひろがりず南條とは対照的といえる。実際決勝でも大谷の方が視聴者のウケはよかったようだ。

1つ言い終わった後になんともいえない表情をして前を見つめるのも芸風だと思うが、これは幾分かカメラワークに助けられているかもしれない。やはり真顔に少しずつズームしていくカメラワークは重要な笑いのリソースになりうる。視聴者投票に重きを置く大会で、そういった印象の恣意的な操作ができうるというのは、番組側はかなり気を付けているとは思うのだが…

 

 

 

 

以上、全芸人の分析である。お笑いについて真面目に考えているこの記事の書き手が必ずしもおもろいことが書けるわけではないことがおわかりいただけただろうか。

 

総合的なまとめ:畳みかけについて

今大会全体的に言えることなのだが、後半に畳みかけて笑いの盛り上がりをつくるという王道の手法をとる芸人がかなり少なかった印象だ。M-1ではほとんど皆畳みかけていたし、笑いの価値観やトレンド自体が急に変わったわけではないはずなので、敢えて畳みかけなかったわけでもなさそうだ。そして、ピンだと畳みかけができないわけでもない。

口を酸っぱくして言うようだが、面白いの基準はそれぞれだ。つまり、誰を面白いと思ってもいいし誰を面白くないと思っていいわけだ。しかし先人らが少しずつ解明してきた「面白い」のメカニズムに照らし合わせると、ネタ作りあるいは稽古という準備段階で「面白い」に近づける作業に費やせる時間はあったのではないか。そう考えると今回決勝進出した芸人の粗がどうしても見えてしまうし、粗のあるまま決勝に出ることができて、粗のあるまま多くのスタッフや局員が一生懸命作った番組でネタを披露できてしまうことになるのは、R-1のレベル、ひいてはR-1という真剣であるはずの賞レース自体への信頼を下げかねない。現に審査員が審査前に評価を口にしてしまうという緩い空気のまま番組は進行しているし、M-1の審査員ほど突っ込んだ評価をするコメントもない。

R-1で優勝すれば人生が変わる。それくらいのネームバリューがなければ芸人がその頂を目指す動機付けも薄れるし、それによって目指す芸人が減れば良い芸人を発掘する機会も減り、大会の存在意義も小さくなってしまうという負のスパイラルに陥ってしまう(実際去年よりエントリーは少ない)。

 

芸として何が面白いのか、そういったベーシックな目線で芸を洗練させようという姿勢がプレイヤーにも審査員にもなければ、今後のR-1は規模縮小、もしくは廃止を余儀なくされるだろう。そうなれば、全国ネットの賞レースを失ったピン芸人たちはどう日の目を見ればいいのかわからず実力があっても路頭に迷うこともあるだろう。お笑いを愛す一般人として、その未来が来ないことを願う。

 

 

 

 

 

イッテQ録画し損ねてナイーブ

 

最後まで読んでくださりどうもありがとうございました。また何か言語化したくなるような個人的にモヤモヤしたトピックがあれば、またどこかでお会いしましょう。

 

 

 

 

YouTuberジョンレノを本当に応援している

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炎上うんぬんの話がしたいわけじゃない

彼を純粋に応援している。なんなら彼が今直面している問題について少々の持論を持ち、あわよくば本人の目に触れてほしいとすら考えているほど応援している。そう、今から僕は失礼なことをするのだ。登録者数93人どまりで活動を半ば諦めた人間が桁が4つも上の大物に対して意見をする。木更津に住んでる人間が港区の地価について論じるようなものだこんなの。それでもやる。語る。というのは、ざっと調べる限りそこまで分析したサイトが無かったから。

 

この記事ではジョンレノというキャラクターの道のり、どうしてウケたのかという理由を分析した上で現在の彼の動画の方向性、伸び悩みについて書いていく。

少々長い文章になるが、最後まで目を通して頂けると嬉しい。言ってしまえば拡散希望である。結果的にめぐりめぐって僕の知名度と好感度を上げたいからだ。

 

 

チャンネルの推移

「なかなか50万人行かんなあ」ジョンレノ、もとい演じる岩崎智樹が2019年6月5日更新の動画でポロリとこぼした。少々伸び悩んでいるようだ。

元々は50万はゆうに超えているチャンネルだったのだが、現在の49万5千という数字になるまでにはいくつかのイベントを経ている。彼の現状と、オワコンと言われる理由についてを把握するために、時系列で説明しよう。(※そこそこ詳細についても語るので長くなります、だいたい知ってる人や正直どうでもいい人は「ジョンレノは何が面白くて伸びたのか」までスライドして飛ばしてください)

 

・2016年7月、チャンネル開設

この頃から全くの無名だったわけではなく、Twitterでの動画投稿から小規模でのコミュニティで知られる存在だった。YouTubeチャンネルはTwitter動画をまとめたもの及び自作曲の弾き語りをアップロードするために用いられていた。

Twitterの動画は、主にその独特な縦長い顔を使ったもの。ようかい体操第一やミッキーマウスマーチなど明るい曲を流しながらなんとも言えない真顔でこちらを見ながら横に揺れるというもの。これの面白さについては、チョコスモ時代の動画などと合わせて後で少しだけ触れる。

 

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・2017年1月、YouTuberとしての活動開始~同年3月チョコレートスモーカーズ結成

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 ジョンレノというキャラクター像は少しずつ固まっていた。あまり表情は変えず、幼馴染のケビン、高校の同級生のアレックスを不安定な言動で翻弄する。この2人がキャラクター性ゼロで普通の若者でなおかつ決して不細工ではないという立ち位置であるだけに、ジョンレノだけはそのルックスも相まって際立つという構図になった。

そこにもともと個人でYouTuberをしていた当時15歳のまみこ(すぐヨハンに改名)を友達として引き入れる形で、半ば仲良し4人組でゆるく活動するようにしてチョコレートスモーカーズは発足した。

ジョンレノのキャラを際立たせる構図が上手くいき、チャンネルは日単位で成長したが、動画のクオリティは低予算なものが続いた。アドセンスの登録をミスったせいでYouTuberとしての収入が0だったからである。しかしジョンレノ自体が一部の中高生のトレンドであったため、他のトレンドを扱う必要がなく、チャンネル運営に必要な支出が0でも問題なかったのだろう。

2017年5月、ケビン一時脱退中に収益化し、この頃から商品のプロモーション動画が圧倒的に増えた。以降活動休止まで増え続け、ピーク時はほぼすべての動画がプロモーションとなることになる。

 

 

ヨハン脱退~チョコスモ解散

プロモーション動画の増加に比例して、メンバーの中でヨハンの役割が大きくなっていた。中学生の頃から一人でカメラに話し慣れているヨハンは、動画内で商品の説明をする仕事に適し、実際コメント欄でもヨハンの商品紹介はわかりやすいという評価が多かった。

ヨハンの好感度とは逆に、ジョンレノは静かに苦境へ苦境へと向かっていた。当時チョコスモはYouTuber事務所siLVer所属、2017年活躍したYouTuberの筆頭となる予定だったジョンレノは、その人気で事務所を成長させることに目標が変わっていた。後に本人が語った話によると、事務所主催ではなくジョンレノ個人が食事会を主催し、その費用もジョンレノ個人の収益から出されていた。事務所のための会食にもかかわらず、である。加えて視聴者プレゼントで当時高値で転売されまくったNintendo Switchを何台も用意したりしていたので、チョコスモの売り上げはほとんどその経費に消え、ジョンレノの生活は税金を払えないほどにまで困窮していたのだ。

そして、ジョンレノの不遇を決定づける事件が起こった。ヨハンへの暴力・いじめ疑惑である。きっかけはヨハンへの寝起きドッキリだった。ヨハンに商品紹介のイメージが付く前はいじられキャラという演出で寝起きドッキリが定期的に行われていたが、視聴者には20歳の青年たちが5つ下の少年を3人がかりで身体的な傷害を与えているように見なす者も少なくはなく、事実初めはジョンレノのダル絡みのようなものだったのが最終的に風呂桶に突き落とすまでのエスカレートがあった。

実際彼らの中では対等な友人関係で、少々の干渉はじゃれあいの範疇だったのだろうが一般論ではそうはいかず、彼らの中での年齢差に関する認識が弱かったことが招いたイメージダウンだった。周囲からすればヨハンに編集も説明もやらせてるのにいじめた挙句収益も3%しか分配されないという状況なのだからこうなるのは当然の流れだった。

 

さらに不運だったのが、これでは終わらなかったということだ。チョコスモが東京に進出した頃、ジョンレノと、彼の恋人、そしてヨハンの間で軋轢が生まれた。食事会が多くなったジョンレノは、年下の恋人を家に一人にすることが増え、恋人は不安感から年齢の近いヨハンに相談、ジョンレノはその事実を知ると浮気とみなしヨハンを糾弾し、二人の仲は一時的に険悪となった。そのムードは少なからず動画に表れ、結果としてジョンレノの暴力疑惑が強まった。そしてヒートアップした2人の喧嘩はジョンレノがヨハンを半ばクビにするような形でヨハン脱退にまで至らせた。脱退の知らせは文字が流れる簡素な動画で本人らの直接の説明はなし、ケビン一時脱退の動画との温度差から視聴者のヘイトを溜める悪手であった。

謝罪ブームのご多分に漏れず、すぐさま彼らは謝罪動画を投稿、それもまたジョンレノがどうしてこうなったかまでは説明せず、内情を知らない外様が噂を盛り上げジョンレノのイメージは地に落ちた。説明をしなかった理由としては、本人曰く(意約)、ここで何を説明しても自分が悪人であるイメージは変わらないので語らないことでヨハンを含めた関係者を噂の標的にさせない選択をしたとのことだった。これも悪手である。基本的にグループを統括する立場でなおかつ不祥事を起こした本人なのであれば事の経緯をなるべく詳細に話すのがリスク回避、被害者感情の観点からは必要な初動であると僕は思う。たらればの話にはなるが、ジョンレノがここで自分がどう見られるかを複数の視点で客観視できれば彼を含めた関係者たちが一番損をしない形で決着がついたのではないだろうか。あくまでたらればであるが。

ジョンレノは活動自粛、チョコスモも機能停止。その後、動画のクオリティの観点としては悲しい出来事が続いた。

ロングビーチ・ジョンレノTV~ジエンド

ジョンレノを失ったチョコスモメンバーは早急な対応を余儀なくされた。もともと一人で活動していたヨハンはまみこ部のまみこにスムーズに戻れたが、アレックスとケビンが浮遊状態。そこで二人はかねてより親しくしていた二人組YouTuberの東京コンセントマジックのアダムとボブを引き入れ「ロングビーチ」を結成。しかしジョンレノのキャラに依存していた体質が急に変えられるわけでもなく、本人たちの自己紹介や近辺報告として自らのコンテンツを薄切りにして動画にしていく、到底長く続けられるわけもない運営形態だった。それでも視聴者は少なくなかったが、これはチョコスモ時代で現れた「その人の動画があれば面白くなくても幸せ」な層、簡単に言えば顔ファンによるものが大半である。

ロングビーチの結成に少し遅れる形で、多方面から復活が望まれたジョンレノが個人チャンネル「ジョンレノTV」を開設。友人である「多村家の日常」のたむちんがしばしば登場するも、これはこれで安定した低空飛行を見せ、華々しい復活にはならなかった。

 

ロングビーチの惨状をリカバーするためか、ジョンレノは2つのチャンネルのメンバーを統合、さらに新しいチャンネル「ジ・エンド」を開設した。しかしこれもうまくはいかなかった。理由としては、ジョンレノのキャラが据え置きだったにも関わらず、炎上の残り火を気にして全面的にプッシュしなかったことが考えられる。ロングビーチ時代の自己紹介、近辺報告だけの動画のクセがここで残り、「報告系YouTuber」と揶揄された(どのくらい報告してたかというと、全69本の動画でだいたい35本、半分が報告系。中にはメンバー、グループ名の改名だけの報告も)。報告以外の動画は、ドキュメンタリーを装ったコントが中心だった。これは「多村家の日常」でキレる演技に定評のあったたむちんが中心だったが、ジョンレノとたむちん以外の演技に限界がありこれも長くは続かなかった。

方向性に迷う6人は、それぞれが夢と称して別々の企画でチャンネルを作り始めた。

 

ジョンレノ(岩崎智樹)・ケビン(宮川健太)→Violet

たむちん→たむちんの仮想通貨channel

ボブ→BOB'Sキッチン

アレックス(藤田悠人)→モデル志望(チャンネルなし)

アダム→学業(チャンネルなし)

 

その結果、彼らの拠点が地元滋賀と東京で二分され、撮影がスムーズにできずジエンドは半年足らずで解散したのであった。

 

 Violetの迷走

ジョンレノとケビンは、岩崎智樹と宮川健太として本名名義で音楽グループVioletを立ち上げた。Twitter時代から自作曲を弾き語り、「歌はイケメン」「智樹くんの時はカッコいい」という評価があった岩崎としては、元々の夢でありジョンレノに頼らない新しい人気獲得システムとしてVioletに注力することとなる。

 

本人たちは真面目に夢を追いかけるつもりだったようだが、音楽的には正直音楽ファンを取り込むにはかなり難しいものがあった。

曲そのものは2000年代J-POPの後追いのようなありがちなメロディや言葉選び感が否めないし、歌唱力に関しては岩崎の音域が狭く宮川の声量が小さいという致命的な弱点を抱えていた。

音楽的な弱点を改善できないまま、元アレックスの藤田悠人をメンバーに引き入れ、さらに音楽の素養を持たない彼はDJの担当に。形態だけはファンモンのそれであった。

 

 歌唱力の増強、楽器に関する勉強が不可欠であった彼らは、自らのボイストレーニングと商業音楽に関する学習を後回しにして自分達より声の出るボーカリスト2人をメンバーに入れるという安易な手段に出た。

しかしこんな体たらくでもファンミーティングには小さいライブハウスに集客できるほどの人気はあったのだ。平たく言えば顔ファンの存在である。飛びぬけてルックスが優れるわけではないがジョンレノとの表情のギャップに惹かれる固定ファンは少なくないためその集団からギリギリ収益を望むことはできた。しかしクリエイターとして彼らを評価する者はいないので少しずつ固定ファンが剥がれていく縮小再生産に落ち着き、グループの成長を望む岩崎たちにとっては芳しくないまま藤田の脱退を迎えることとなる。

 

 

自らの悪手で八方塞がりとなった岩崎は、ヒカルとラファエルに相談。彼らのアドバイスから、未だ多くの登録者を持つチョコスモのアカウントをジョンレノ個人のチャンネルとして運用、2019年元日からほぼ毎日投稿で現在に至る。

 

以上が詳細を含めたジョンレノの栄枯盛衰である。

 

 

 

 

 ジョンレノは何が面白くて伸びたのか

長くなったがいよいよここから本題。ジョンレノがあれほどのロケットスタートを決めた理由について。これを語るに必要なキーワードは「二重構造」である。

二重構造は数年前からお笑いやバラエティでのトレンドになりつつあるエンターテインメントの手法。イッテQのスタッフいじりやめちゃイケの台本を感じさせる内輪もめなどがそれにあたるだろう。

松本人志が世間に広めた「笑いは裏切り」という一般化された規格が日本人の「お笑いIQ」を半ばガラパゴス化させるようにして吊り上げたわけだが、この影響でテレビでのバラエティ企画にマンネリを感じた世間は「作り手(スタッフ)の目線」というメタ的な視点を感じることに面白さを感じるようになった。これが二重構造である。

この辺の話を論じるとまた長く白熱してしまうのでこのような概要にとどめておくが、つまるところチョコスモの動画はこの二重構造になっていたと考えられる。

 

前提として、ジョンレノはキャラであり岩崎智樹の演技である。つまりいくらジョンレノがびっくりしようがジョンレノがメンバーをイジろうが素から出た言葉ではない台本のようなものなのだ。そこでYouTuberがやりがちなドッキリ企画をするものだから、生身の人間がやるドッキリよりキャラを纏ったジョンレノがやるドッキリの方が一段階発展したものであることは明確である。なぜなら視聴者は多かれ少なかれ「作り手」を意識できるから。

ジョンレノのキャラクターは、全てのありがちな企画を、それを用いたシチュエーションコントに変える特性があるのだ。(実はTwitter時代の動画は二重構造にはあたらないと考える。どちらかというと「無表情と明るい楽曲」というギャップが生む一次的な笑いともとれる。類似動画に大入道トーマスが挙げられる)

 

今年初めに復活したジョンレノにも、その特性がよく表れた動画がある。これだ。

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YouTuberの年収は基本的には謎であり、儲かっているYouTuberがこれを公表することで再生数を伸ばすコンテンツとなる。ヒカルなど金を使いまくる系のイメージがあるYouTuberがこれをする傾向にあり、ある程度YouTubeを見ている視聴者からすれば有名な題材だ。YouTubeで夢を見たい者、YouTuberが「楽して儲ける様」を見て怒りたいアンチがまたこれだとこのようなサムネとタイトルをクリックする。

 

しかし待っていたのは年収を聞いてびっくりして後転してしまった勢いでたまたま大阪に着いてしまうジョンレノという、言ってしまえばちょっと質の低いショートコント。 年収を聞きたいという期待に反するトンデモ設定のコントという構図は「笑いは裏切り」の方程式に合致するし、ジョンレノという予測不可能なキャラがこれをやることで無理やり整合性が取れるというキャラの特性を活かした唯一無二の動画形態なのだ。

 

これぞジョンレノ、この方向性がベストマッチだと僕は思う。キズナアイコラボ動画とかもそうだし。

 

 

しかししばらくしてまた悪い癖が出てきた。ジョンレノと岩崎智樹の違いやほかのキャラを作ることで、自己紹介や報告系の動画が増えている。前述のとおりこれは縮小再生産であり新規のファンを獲得する手段になりえない。現に、弾き語ろうがコラボしようがコメント欄では「ジョンレノかわいい」的な動画見ても見なくてもさほど変化しないであろう、ジョンレノ本来の魅力・面白さを受け取れていない者が目立つ。

こういうファンを大切にしようとするのはえらい、でもそうするとだんだん縮小していくだろう。具体的に言えば6月に入ってから登録者は微妙に減り始めている。

 

今ジョンレノに必要なのは、チョコスモ時代以上の新規ファンの開拓じゃないのか。だからなかなか50万人行かんなあって言葉が出てくるんだろう。

 

チャンネルの成長のためにすべき、一つの案

再度申し上げるが、ジョンレノは他のYouTuberの企画をキャラというフィルターを通すことで二重構造の笑いを作れる特性がある。

そしてもう一つ。今のYouTuber界は中小規模のチャンネルが大物YouTuberの後追い企画、二番煎じしかできない。そんな現状があることもここで述べておこう。

 

この2つのことから考えられるジョンレノの活路。

 

 

 

それは、ジョンレノのフィルターを通して後追い、二番煎じをしまくることだ。

 

 

具体的には、

Twitterのトレンドなどから大物YouTuberたちが拾った企画を、サムネとタイトル、動画の入り口でだけ採用

②しかしジョンレノは不安定なのですぐ企画崩壊

③最後は全く違う話題、方向性のボケでシメる

 

以上3点の構造だ。①で一般層を期待させ、②③で2段階の裏切りを用意する。笑いは裏切り、二重構造。異端なようで現代の笑いにマッチした動画になると思う。

しかも元の企画自体はYouTubeの急上昇に転がっているので、他チャンネルに比べて0から企画を立てる労力が多少省けるというメリットがある。さらに、「有名人がやっててもう見たことある」という、コンテンツとしては廃棄物になるはずだったものを再利用する夢のエコシステムでもある。別にこれは新しいことではなく、ジョンレノが今まで実際にやってきて、なおかつそれが受けていたという実績のあるシステムで、それを量産しやすいように構造をここで文字に起こしただけのものだ。

 

DA PUMPのUSAのパロディ動画を例に挙げれば、

www.youtube.com

 

①→有名曲の歌ってみた、踊ってみたというありがちなコンテンツ

②→歌詞もメロディもダンスもちゃらんぽらん、あんなに有名な曲を狂って表現(ここで笑い)

③→全然関係ないひょっこりはんパロディで急展開、最後のオチを作る

 

しっかり①②③のフォーマットを満たしている。ジョンレノは無意識にこれをやっていたのだ。今後はこの型を意識すれば面白い動画が(多少の波はあるだろうが)量産できるはずだ。

 

 

 

最後に、ジョンレノさんへひとこと

 

くそ、おもひれぇんだよぉぉ…

 

マジでごめんなさい。

もしエゴサでこの記事にたどりついたら、低迷期のことボロクソ言っててお気を悪くされたかもしれないですね。もしかしたら熱心なファンの方も。ごめんなさい。もうこれはごめんなさいとしか言いようがないです。でも僕もジョンレノさんのファンなんです。じゃなきゃここまで長いこと書かないし考えないでしょう?

 

さらに罪を重ねるかという感じですが、もしよかったらお願いがあります。

ジョンレノさん、もしこの記事読んで頂けたらご連絡くださると幸いです。あくまでも上記の案は僕の考えで、ジョンレノさんの方針とは違うかもしれないし、事実と間違いがあればすぐに修正させてもらいたいのが1つと、これがきっかけでよりよい面白さについての議論ができたらいいなっていう私欲が1つです。

 

この記事があなたの糧になり、借金返済と収益の足しになることを願うばかりです。

 

 

別にAAAが炎上したからトリプルファイヤーの話するわけじゃない

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松崎しげると映画主題歌やるっていうからさ

最初はマジで音楽ナタリーが派手に誤字ったのかと思った。あまりのガセっぷりに引いたもん。「そんな訳ないだろ何と間違えたんだ」と思って記事開いたら本当に記事名通りの内容がここに記されてるんだから、もういっぺん引いた。ガセじゃなかったらなかったで引くパターンのやつだった。

 

 

これが松崎しげる側からのアプローチだったのかは記事に記されてないし、ちょっと調べるくらいではこの2組が主題歌を、映画の劇伴はトリプルファイヤーのGt.の鳥居真道が担当していることしかわからない。音源も当然のように公開されておらず作風も不明。不気味だ、ルイージマンションくらい不気味だ。

何でこんなにビビってるのかこのバンドについて知らない人にはわからないだろうし、音楽ナタリーフォローしてる人でもこの記事をスルーしてしまう人はいる。ただ気づいてくれ、これ本当におかしいから。あと断っておきますが今日AAAの話は一切しません。

 

 

トリプルファイヤー

 

 

 

 

Vo.の吉田靖直を中心として早稲田大学の軽音サークル仲間で結成され、当初3ピースだったのでトリプルファイヤーと名乗っていたがGt.の鳥居が加入して以降も同じ名前で活動している。4人体制となって以降、吉田作詞鳥居作曲の形で作品を発表し、2014年の2ndアルバム『スキルアップ』を皮切りにその知名度を徐々に伸ばしていく。

特に表題曲『スキルアップ』のMVは当時FMでも常にどこかしらで流れてた水曜日のカンパネラ『桃太郎』のMVと同じ監督だったこともあってフジテレビの「アフロの変」などでも打首獄門同好会などと一緒に紹介されていたことを記憶している。ただし「バカっぽいバンド」的な括りではあったが。

 

その後はどういうわけかVo.吉田の露出がどういう訳か増えた。しかもあの天下のタモリ倶楽部に複数回出演することになった。タモリが注目したのは吉田のワードセンス。彼に「絶対芸人やった方がいい」とまで言わしめた吉田のセンスについてもう少し掘り下げていこう。

 

 ほぼ芸人

なんか「トリプルファイヤー吉田」っていう字面見るだけでR-1準決勝感が匂ってきませんか。そう、バンド名からもう既に議論が始まってるのだ。「当初3人組で始まったからってトリプル」っていう安直さもそうだけど、その次に来るファイヤーて。別にあんたらファイヤー的な曲やらないし一人たりともファイヤー顔した主人公みたいなやついないじゃん。小2の男子が最初に思いつく技名のセンス。早稲田の文学部がこの名前名乗ってるあたりで察せるけど明らかに狙ったダサさ。カッコいい横文字の名前のバンドが多いことからカタカナ語の名前を忌避して命名されるバンドもある中でのこれ。まだバンド組む前の皆さん、残念でした。バンド名で個性を出す最後の手段がトリプルファイヤーで潰えました。

 

ダサさを狙うというセンス自体は歌詞にも出てくる。『スキルアップ』を例に挙げると、

 

ピーって 笛が鳴ったんで 一番大きいボタンを押した
天井の穴を塞いでいた弁が開いて
三色のボールがそこから転がってくる

その中から好きな色を一つ選んで
壁に備え付けられたかごに入れていく
かごの重さに比例してメーターが上昇する
メーターが赤いラインに達した瞬間
壁の穴に棒を突き刺す

棒を突き刺す 棒を突き刺す 棒を突き刺す 棒を突き刺す

スキルアップ

何だこの意味わからん作業は。何の歌なんだダセえなあ。

よくこの歌詞に言及する論評にあるのが、「単純作業のアルバイトに対する皮肉」みたいなことなんだけど、僕にはそういうクレバーな事が言いたいように見えない。

 意味があるのかどうかわかんない単純作業を繰り返していくうちにどんどんその業界での「スキル」が上がっていくし周りからも認められ自己肯定感が上がる。皮肉云々コメントしている人はこの歌詞を裏読みして、そのバイト先を経営してる企業にただ労働力を搾取されている若者を描いたように見えているのだと思う。確かにその観点は無しではない。他の曲もそうだけど、自己の客観視から現実を俯瞰する歌詞って多いし客観視するとその曲の主語が大きくなるから社会に切り込むように見えるようにはなってるとは思う。

 

 ただ僕がアルバムを通して聴いて思うのは、彼が客観視しているのは他でもない自身のダサさなんだと。自分の感性が面白くて表現者の道を歩むと、周囲の「普通」のノリに触れるとあまりのセンスの差に呆れたりする。だけど何かしらの集団に属さないと生きていけないから自然の摂理には逆らえず少しずつセンスが「普通」に近づいていく。会話が弾んだらそれはそれで楽しかったり、クソみたいなバイト先でも褒められたらどうしたって心が晴れたりする。でもそこで自分が見下してたコミュニティのセンスに近づいていることに気付くのだ。

スキルアップ』の歌詞にあるのは、頭おかしくなるくらい意味わからん作業で認められたら平気で「ありがとうございます」って言っちゃう奴、という所までしか書いてない。それがなんだと主張まではしないのだ。この歌詞に出てくるその若者はもうダサくなったまま帰ってこないし気づきもしないから。その気づかない所もダサく見えてくる。

ある意味ツッコミのないボケっぱなしのコントにも似たその構図は「面白いパーティー」「Jimi Hendrix Experience」などにも表れている。ダサい状況を展開のないロックサウンドに乗せることでようやくダサさを自虐する環境が整う、という高度なメタ的要素がトリプルファイヤーの歌詞には存在していると思う。

 

以上が個人的に考察できるトリプルファイヤー吉田のクリエイターとしてのセンスだ。

 

パフォーマーとしては

歌めっちゃ下手。いやこれ上手いって奴はおらんだろ。ただしダサさを演出するには十分すぎるボーカル力だと思う。特に、彼の中で勝手に熟成させたようなグルーブにおけるセンスは唯一無二とまでは言わないまでも凡人のそれとは明らかに違う。例えば、トリプルファイヤーの楽器陣ってライブでも異常なまでに正確な演奏をする。同じフレーズを延々と繰り返すことが多いのにこれを機械的に合わせ続けるバンドの完成度は狂気的にも思えるのだが、吉田はこれに対してちゃんと辻褄が合うように少しズレる。

そのパフォーマンスを裏付けるかは微妙だが、ライブMCでも本人が言ってたのは「グルーブを自分の波に一体化すると自我とか無くなって幸せな気持ちになるってことをやろうとしてる」。歌詞が現実のとても近い所にある分、その具体性を表現するときに一体感があると個の集まりだったはずのバンドが1つの抽象的な不安定さを生む、そういう挑戦だと僕は解釈する。

 

複雑な解釈になったが、平たく言えばこの星野源もどきは適当に歌ってるわけではないということだ。

その証拠となるであろう動画が存在する。2016年の呂布カルマとのMCバトルだ。

 

  

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どうやらこれも新しいファンを獲得したきっかけの一つらしい。僕のこちらの界隈に関する知識は有名プレイヤーの名前とスタイルを僅かに知るばかりでコメント欄の一般論を要約するに甘んじているのだが、このパンチラインとリズム感と会場の雰囲気は称賛に値するようだ。これちょっと勝手に嬉しくなるやつ。

 

 

 

さて、ここまで読んでくださった方は、トリプルファイヤーというバンドとそのフロントマン吉田靖直についてある程度理解できたのではないだろうか。はいじゃあここで冒頭の話題に戻しましょうよと。

 

松崎しげると映画主題歌やる人です

いや嘘つけって思うでしょ?これが事件だってわかるでしょ?相手はあの『愛のメモリー』だというのにこのバンドマンときたら美しい人生も限りない喜びも胸のときめきも1ミリたりともないんだもん。

マジで世界観が合致するとしたら塊魂のBGMでしかありえないこの2組。令和の音楽史は彼らが破壊して始まるのかもしれない。それでは。

 

突然少年のことを銀杏BOYZと呼ばないために

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※私立理系大学1年生ではなくバンドです

 

 

予防線の意味で言っておくが、僕はこういった「エモい」タイプのバンドは趣味ド真ん中ではなく、普通にKing GnuとかTempalayあたりを好むミーハーだ。

そういう人間が昨日今日で調べたり考えたりしたことを書いている文章が今から続きます、ご了承ください。

 

一応どんなバンドなのかご説明します

 

 

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※別にいじめられててこういう格好してるんじゃありません

 

 

西東京市出身、高校の軽音楽部の4人で結成され、ライブを中心としてソウルフルなサウンドを展開している。大武茜一郎(Gt. Vo.)が作詞作曲を担当し、ストレートな歌詞に描かれているのは主に「うまくいかないけれどワルにもなれない若者にある、どうしようもないマイナスな感情に寄り添う言葉」そんな感じだろうか。

現在レーベルはP-VINE。2018年にはFUJI ROCK FESTIVALにも出演したことで知名度をあげたようで、因みに言うとGt.のカニユウヤは菅田将暉のアルバムにも参加している。

 

この動画のように、ライブによっては裸で演奏することも。さて、ここまで確認したうえで、

 

 

銀杏BOYZっぽくないか

アーティストに対して先輩アーティストの名前を出して「~っぽい」「二番煎じ」「第二第三の〇〇」みたいに言うのって僕はとても失礼だと思うし、知ってるもので何でも例えないと会話ができない違いのわからない奴みたいでダサいとまで思ってる。言ってしまえば新しいアーティストを知った時にそういう思考をするのは危険だとすら思う。彼ら固有の魅力を知ろうとする機会が失われて感覚が鈍っていくからだ。

 

とはいえ、

 

誠に残念なことではあるが自分が外様になるジャンルにおいては本能的に脳が似たものを使って理解しようとするか最悪拒絶するかという選択にもなりがちである。現に僕の母親はバンプとラッドの区別はまるでつかないし、なんならドロスとも混同している。それは仕方ないことなのかもしれない。

 

僕が銀杏BOYZを感じたのは曲調というよりもそのパフォーマンス。まあまずその裸よね。裸といえば峯田和伸峯田和伸といえば裸みたいなところあるじゃない?(ご存知ない方のために補足しておくと、今でこそ石原さとみとW主演で連ドラ出てるけどライブで裸になって書類送検とかされてる人です)

他にもノイジーなギターサウンド、泣き叫ぶようなボーカル、日陰者に寄り添う歌詞など、随所に銀杏BOYZリスペクトを感じる(敢えてリスペクトという表現をするが)。

 

勿論、忘れらんねえよのようにそういった特徴を持つバンドは多々ある。このジャンルのバンドはそういうものだと思えば何かに似てるという言い方はできないだろう。

でも動画タイトルにあるSUDDENLY BOYZの表記はいかがだろう。仮に彼らに寄せる意図がないとしても、そう思われても仕方ないような要素はあると思う。

 

 

でも、バンドって往々にして自分だけのアイデンティティを模索するものでもあるし、カテゴライズされることを拒んだ若者が行き着く一つのコミュニティでもある。僕らがバンドを好きである以上、類似点を見つけてしたり顔するのはもうやめないかと。

 

 

何が突然少年なのか

この問いに答えるキーワードの一つに「今」があると思う。バンドはいずれ年をとる。30代40代になって忘れていく感覚もあれば、それらを失わずにおっさんになって痛い奴扱いされるバンドマンだっている。

悲しい未来が待ってるかもしれないが少なくとも「今」彼らは若者で、「今」ライブハウスでバンドをしていて、「今」もがいてスターダムに上ろうとしている。どう見てもいじめられっ子にしか見えない彼らの変遷に「今」僕らが立ち会えるということだけで、彼らの音楽を聴いて興奮する価値を見出すのに十分な理由付けになるんじゃないかと。外様はそう思いました。

 

 

tower.jp

 

そんな彼らの「今」アルバム、「今」発売されました。聴きます。

 

Y NAKAJIMAとかいうお手軽ダークウェブ

www.youtube.com

YouTuberの話です

半年ほど前だったか、おなじみのYouTuber達が独占する「急上昇」のページに怖いサムネの短い動画が突然姿を現した。

 

 

Vtuber始めて2本目の動画です

 

首が不自然な方向に曲がっていれば人は気味悪がるとホラーの教科書かなんかに書いてあるのだろうか。おまけに子どものおもちゃとして一般認知度が高いトーマスに生っぽい肉体をつけるというお手本のようなトラウマ感。トラウマ界のNHKだ。

 

あからさまに人の不安を煽るこのVtuber動画群は何度も急上昇の上位にランクインし、コメント欄では「手軽に楽しめる深層web」と揶揄されていた。

すごく的を射たコメントだったのでパクって記事名にした

 

深層Webとは

一般の検索にはヒットせず、またリンクから飛ぶこともできないものもある、俗にちょっとヤバいアンダーグラウンドなサイトとして認知されているが、実際は学術論文なども含まれているので全然ヤバくないものもある。

一方ちょっとヤバいどころか犯罪ド真ん中の違法サイトもあるので、気軽に楽しめるものではない。ヤバくなくても学術論文なんだから楽しめるとかじゃないし。

 

その深層Webの中で、ヤバい方、或いは不気味で意味の分からないサイコなページのことをダークウェブというのだが、Y NAKAJIMAの作る動画の雰囲気はまさにそれに近いもののようだ。

 

 

彼の作品で最も人気なのがこれだ。

 

先程のVtuber動画とはうってかわってマシン制作をしている。基本的にはこちらの造型系の動画が中心で、ハード屋としての基礎があった上でVtuber動画に見られる映像制作をこなしているようで、いわばデザインエンジニアだ。

何年か前から「次世代のものづくり」と呼ばれているが、もうそろそろ今世代のものになりつつあるデザインエンジニアの求人は増える一方、収入はさほど上昇していない。それを考えると彼のような人材がYouTubeで収入を得ようとするのは必然の流れなのかもしれない。

 

 

Y NAKAJIMAとかいう有能デザインエンジニア

一体彼は何者なのか。つい先日このような動画があがった。

 

※これは実写です

 

フリーランスの造形作家、映像作家、ライターとして実名で活動していることが明かされた。めっちゃ仕事してる。えらい。衝撃だったのは一番金払いが良いのがYouTubeだということ。日本での仕事はそもそも金にならないのか、そもそも世界的な相場がもともと低いのか。いずれにしてもフリーで生活しているという事実が彼の多方面での実力を物語っている。

 

動画タイトルは英語で内容があまり言語を必要としていなかったため、海外からのファンも多い。日本より賃金が高い国でのお仕事が増えることを割と真面目に祈ってます。

 

軽い気持ちでダークウェブとか言ってすみませんでした

 

 全然ダークじゃないし次の動画楽しみにしてます。

 

あと本当のお手軽ダークウェブっていうのはこういうものだから。 

 

 

 

 Vtuberの  ォ逅 (んぬぐむ)です。

 Y NAKAJIMAと並べるのはなんか畑が違うかなあとは思いつつも一応紹介してみました。

 

 不気味で後味悪くなったところで今回は以上です。

それでは。

異世界転生した主人公は本当の異世界を知らない

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小説家になろう」などの投稿作品で、よく揶揄される異世界転生モノのストーリー、確かに主人公がチート能力を披露するものが飽和状態であるにしてもそこまで非難されるほどのものなのか、あまり小説を読まない無学な僕にとっては理解の範疇外だ。

 

知識もないくせにひねくれた思考を持つ面倒な日陰者タイプの人間にはよくあることだが、世間一般に問題視されることは「何が?」みたいな反応をして別のマイナーな着眼点に固執することでアイデンティティを保つ悪癖もとい持病がここでも顔を出しているのだろう、僕には異世界モノにこう言いたくなった。

 

固有名詞カタカナばっかしじゃん

転生系に限らずファイアーエムブレムとかもそうだけど、異世界=中世ヨーロッパの等式が半ば成り立っていることが僕はもう我慢ならないのだ。やれ魔導士やら聖騎士やらってカッコいい役職ばっか並べるのはいいけどどうしてそれが欧州風の名前でなければならないのかと。

そろそろこの点にメスを入れる作家の方はいらっしゃらないだろうか。いやいるかもしれないけどそういった作品がメディアでもネットでも一般認知されるほどフィーチャーされてるのを見たことがない。どうしてこうなっているのか、今日はこれについて妄想してみた。

 

 

考えられるのは、僕らが日本人だということ。かつておフランスという言葉があったように西洋文化、とくにその伝統的な部分に想いを寄せる風土は未だ色濃く残っているからなのではないか。今住んでいる国の対極にある成熟した文化のある風土で、なおかつ時代は前のものともあれば、イメージのしやすい「異世界」なのかもしれない。

でもそれって異世界じゃなくて、ディティールが少しばかり異なる「こちらの世界」ということではないだろうか。並行世界と名付ける方が近い気がする。

例えるならよくドラマに名門大学という設定で出てくる「帝都大学」くらいのひねりのない架空具合、これを異世界と名付けるから同じような世界観のものばかりになる。

ただそんなこと非難したってしょうがないこともわかった。人間の想像なんてたかが知れているし、逆にまるっきり異世界という設定を考えて手足が奇数本の生物を軸に物語が始まったとしても出オチもいいところでそこから読者の頭には内容なんてそれ以上入ってこないだろうからだ。

 

ここまでの分析を自慢げに終えた僕は、クリエイターよろしく逆を行く。

 

 

「現代」の、「日本」をテーマにした異世界

だからってカタカナばっかしにすることないじゃないか。日本にだって「きさらぎ駅」みたいな異世界の要素があるはず。あ、きさらぎ駅知らない人は調べちゃだめだよ、夜の帰り道とか電車とかで不安が止まらなくなりますから。

まあ別にあそこまでホラーじゃないけど、同じ日本語のはずなのに既視感のない固有名詞は作れるはず。そして聖騎士や魔法使いも現代日本に溶け込ませることができるはず(そういえばドラえもんにあったなあそんな話。魔法が日常で科学の方が空想になる世界。やっぱりF先生は未来に生きてる)。

 

というわけで、そんな考えから生まれた僕の異世界転生物語、一般的な異世界モノを軸に初期設定だけ思いついたので忘れないうちに書き残したいと思います。

 

 

 

 

異世界転生してみたら魔王配下の区役所でお世話になった』

  • 主人公は中村たかふみ、就活を控えた引きこもりネット民
  • スーツを買いにコナカに行く途中、路線バスの事故に巻き込まれ意識を失う
  • 目が覚めると病院なのだが、明らかに様子がおかしい
  • ベッドの色が黄緑とかだし看護師さんがやたら甘酒を勧めてくる
  • 外を見て自分が知らない世界にいることをなんとなく悟る
  • 身分証がその世界とフォーマットが違うので警察に保護され書類とか書かされる
  • そこで名前書くと「あ、市町村の方の村なんですね」とか言われる(異世界なので中邑の方が一般的なため)
  • 住むところは一応決まるもののまた住民票関係の書類で区役所に行くものの、区役所なのにタワマンくらい高い
  • 上の方何があるんですかと聞くと魔王や魔物の宿舎だという
  • 区長が魔王なのだがそこそこ財政政策が優秀なおかげで3期連続当選している
  • しかし魔物がコンビニ前にたむろしたり騒音問題に発展することもあり、魔物街の敷地もしだいに広まり始めている
  • その現状を聞いた主人公がなぜか覚醒した交渉力と政治活動への情熱から区議会議員を目指すと共に議会の早期解散と人類の区長再興に向けて少しずつ区役所の上の階の魔物を追い払う物語

 

 

丸投げ

誰か書いてくれる文才のある方いらっしゃいませんか、共にディティールを練って異世界モノの天下とりませんか。

 

そんな夢のような並行世界を夢見て、今日はそろそろ寝ます。それでは。

 

 

 

 

 

 

R-1の会場に紛れ込んだ稀代のメロディメイカー、こがけん

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 観客の反応問題 

違和感を感じた視聴者も多かったのではないだろうか。観客の歓声について、僕は少なくともこれはいかがなものかと些か疑問を抱いている。

 

「観客がどんな反応するかは観客の自由だし、それが笑いではなかったのは芸人の力量の問題ではないのか」という議論もあるとは思う。しかし劇場で観劇のマナーがあるように、笑レースで笑い以外の声が上がるというのは、ネタや芸人の評価に大きく(主にマイナス面で)影響を及ぼすためこれも本来は憚られるものであるはずなのだ。

もちろん、この現象が全て観客の責任であるというのも暴論である。ライブはナマ物とよく言われるし、存分に場の空気に飲まれて感情を出すための物でもあるわけだから。
ただそういった意味では、ライブを作る運営側がいくらでも観客の反応を操作できるということでもある。バラエティ番組ではよく収録が始まる前にスタッフや芸人が観客の盛り上がりを引き出すために、観覧ゲストに拍手や歓声の練習をさせる時間がある。
一般に前説と呼ばれるこの時間、特に生放送では重要になってくる筈なのだが、ここで「『ひえー』とか『ええー』とかはやめときましょうね」と少し強調するだけで、昨日の順位は「面白かった順」になったのではないか。

あくまでもたらればの話にはなってしまうが、個人的にはやはりあの雰囲気に飲まれさえしなければファイナリスト達は苦戦を強いられることはなかった。狂気をはらんだシュールなあのネタも、演技力が抜きんでた技巧に満ちたあのネタも。

 

そして、あの天才ロッカーも。

 

 

こがけんだけ芸の種類が違う

 

芸人(げいにん)とは、なんらかの技芸や芸能の道に通じている人、または身に備わった技芸や芸能をもって職業とする人のことを指す日本特有の概念である。  ―――フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

ピン芸人ナンバーワンを決めるR-1ぐらんぷりでは、漫談やコント、リズム芸裸芸と、「面白ければOK」という言葉通りあらゆるタイプのネタが並ぶ。したがってM-1キングオブコントよりも比較による評価が難しい大会と言える。上記の芸人の定義を適用するならば、チョコプラ長田の横にガチの和泉元彌が出てきてもいいくらいの無法地帯なのである。

そんな環境の中でこがけんを除く他のファイナリストは「お笑い」で勝負していたのだから保守的な方かもしれない。

 

それに比べてこがけんは、たった一人でR-1の決勝に自らの音楽知識を引っ提げて常識を壊しに来たわけだから本当にアナーキーな「芸人」だ。そのあたりもロックの魂が滲み出ている。

 

素人がプロの芸人のネタのメカニズムを説明するのは野暮なことだというのは重々承知だが、まずはこがけんが披露したネタの仕組みを解説したい。

 

  • 歌が苦手な男が不思議なマイクに潜在的な歌の才能を引き出される
  • 「どのくらい歌が上手くなるのか」という期待を「裏切り」、なぜか日本の曲なのにありもしない英語詞と原曲と異なるメロディが出てくる
  • 普通の曲だけでなくNEWS ZEROのOP曲にも歌を乗せる才能がつく

 

「歌が上手くなるのかと思ってたら想像と違うクオリティだった」「思ったのと違うので困惑するがこれはこれで満足」、笑いを生む「裏切り」ポイントは大まかに分けてこの2点。逆にあまり他で大笑いするポイントはなかったと見受ける。(ネタを埋める他の小ネタが伝わりにくいのもあるそれにしてもマイクに腕が操られるマイムはもう少しどうにかならなかったのか)

 

以上から笑いとして特筆すべき点はない。ではどうしてこのような記事を書いているのか。その理由は彼の歌に乗せたメロディにある。

 

80年代の洋楽ハードロック

既存の、さらに言えばJ-POPど真ん中のトラックの上に洋楽ロックの主旋律を乗せているこの芸当、果たして笑いの土俵で量ってもいいものなのだろうか。特に崖の上のポニョに関しては洋楽愛がなければ不可能なコアな領域に達していると思う。

 

もともと童謡に近い歌として作曲されたこの曲は、老若男女が歌いやすいように基本は4拍子の拍に音がはまり、小節の頭から言葉が始まるようになっている。ポニョや童謡に限らず日本で大ヒットを飛ばした歌謡曲は往々にしてそういう要素が(主にサビに)現れる。

 

一方こがけんのネタのポニョはのっけから1拍目の裏拍から入る(C'mon, C'mon, C'mon...の部分)。これは一つの母音に複数の子音が付く英語詞特有の歌いまわしから生まれるリズムだ。原曲には存在し得なかったリズム感を違和感なく落とし込むその技は少し洋楽をかじった程度では成しえない才能である。しかもおそらくあの歌い方からして理論を学んだわけではなく感覚で作曲をしていると見受けられるので、よくバンドマン志望の若者に勘違いさせる「理論とか勉強したことないんですよね」系のミュージシャンと同じ類の能力だろう。

 

したがってこがけんという男は、映画への造詣の深さゆえに劇中歌や主題歌の洋楽に精通し、全ての趣味を芸の肥やしにしてきた、他のファイナリストとは種類の違えど本物の「芸人」だったのではないだろうか。

 

一番「芸人」だったのは

マツモトクラブさんです。演技力構成力共に頭一つ抜きん出てます。R-1がコント限定になれば彼の独壇場です。来年も応援してます。